幸福の科学大学設置不認可に対する見解

 下村博文文部科学大臣は、2014年10月31日、当学校法人幸福の科学学園(以下「当学園」という)による「幸福の科学大学」(以下「当大学」という)の設置認可申請につき、同年同月29日に公表された文部科学省大学設置・学校法人審議会の答申(以下「答申」という)に基づき、設置不認可の処分(以下「不認可処分」という)を通知してきた。

 これに対して、当学園は、同年11月7日、文部科学大臣に対して「異議申立書」を提出するとともに、同年同月11日、さらにその「異議申立補足書」をも証拠資料とともに提出した。

 この、「異議申立書」と「異議申立補足書」における要旨は以下の通りである。

① 不認可の理由の一つとして「幸福の科学大学の背景に霊言が存在していること」を掲げたことは、「真理の探究」を内容とする学問の対象を国家が一方的に制限し介入するものであり、宗教行為を不当に萎縮させるものである。したがって、憲法上認められた「学問の自由」「信教の自由」を侵害し、「政教分離」に反する行為であること。

② 不認可の理由のもう一つとして掲げられた、文科省担当者への心的圧力、認可の強要等の「不正の行為」については、全くそのような事実はないこと。この「不正の行為」に対する判断においても、「信教の自由」「表現の自由」を侵害し、行政裁量を逸脱していること。

 本文書では、これに加えて、学術的観点から具体的に、今回の答申に関する問題点を明らかにするものである。

 

1.本文書の要旨             

 

(1) 審査手続きの重大な瑕疵

 当大学が、「幸福の科学」の宗教思想に基づく大学であることは当初から一貫して明らかにし、その審査プロセスで「『霊言』を含む幸福の科学の宗教思想に基づく大学は認められない」との是正意見は一切なかったにもかかわらず、最終的な答申段階で突如として、これを理由に「不可」の理由としたのは、文科省「大学設置分科会審査運営内規」に違反するだけでなく、大学設置審査制度の根幹を揺るがす、審査手続きの重大な瑕疵である。

 

(2) 審議会の機能に反する恣意的答申の不当性

 当大学3学部の教育課程は、それぞれ人文学(哲学、宗教学)、経営学、工学(機械工学、電気・電子工学)の既存のディシプリンに立脚し、学士課程として十分なものであることは申請手続のプロセスで明らかにされたにもかかわらず、教育課程の具体的な問題点を一切示すことなく“霊言が根底にある教育課程”なる事実誤認によって答申がなされたのは、審議会の「専門的見地から教育課程等を詳細に検討する」機能に基づかない、恣意的な答申である。

 

(3) 教育課程の事実誤認

 設置を予定している当大学3学部の教育課程は、それぞれ人文学(哲学、宗教学)、経営学、工学(機械工学、電気・電子工学)の既存のディシプリンに立脚することを明示していたにもかかわらず、答申は、1科目の参考テキストの一部記述のみを取りあげて、当大学の教育課程の全体が「霊言」に基づいているとしているのは事実誤認である。

 

(4)「霊言」の事実誤認

 答申は、霊言につき「大川隆法氏のみが行うことができる」と認定するとともに、「幸福の科学」のみの現象であるかのように認定しているが、事実誤認である。「幸福の科学」において霊言を行うことができるのは大川総裁に限らず10名ほど存在するし、「霊言」(啓示)現象は古今東西広く宗教及び精神世界に見られるものである。

 

(5) 新聞広告の社会的機能の事実誤認

 答申は、新聞広告に社会的信用の有無を判定する機能はない旨、断定的に認定しているが、新聞広告の掲載に際した新聞各社の厳格な広告考査の実態とその機能につき、明白に事実誤認している。

 

 

2.事実誤認、並びに答申の瑕疵内容に関する具体的内容について

 

(1) 審査手続きにおける重大な瑕疵について

① 当大学が、「広く幸福の科学グループの宗教思想」をバックボーンとして、即ち霊的世界の存在を是とする宗教的理念に基づいて設立する趣旨は、2014年3月の本申請及び同年6月末の補正申請に際して文科省に提出した「設置の趣旨等を記した書類」等に、いずれも明確に記述している。

 そして、当大学の設置認可申請にあたっては、2012年5月より2年半近くにわたり、文科省高等教育局大学設置室に対する「事務相談」等を、合計40回近く行い、当大学設立の趣旨を書面だけでなく、口頭にても詳細に補足説明してきたが、「大川隆法及び幸福の科学グループの宗教的理念に基づき設立する」という当大学の設立理念に対しては、大学設置基準等の法令違反の指摘は、ただの1度もなかった。

 さらには、文科省が当学園に示してきた「審査意見(5月)」及び「審査意見(8月)」においては、この設置趣旨・設立理念そのものが大学教育において認められない旨の是正意見、すなわち「幸福の科学及び大川隆法の理念に基づいた大学設置はできない」といった是正意見は付されていなかった。

 にもかかわらず、最終段階の答申は、突如として霊言を行う教祖の思想に基づく大学は認められない旨を「不可」の理由とした。

② しかるに、文科省の「大学設置分科会審査運営内規」第3条3には、「審査の過程においては、原則として、新たな意見を付し、又はより強い意見に変更することを行わない。」と規定されている。答申は、この文科省自身の内規に明確に違反している。

 また、大学設置分科会からの意見伝達(大学新設の場合は通常2回行なわれる)と、申請者との修正・対応を通して設置認可を行う運用がなされている現行の大学設置審査制度の趣旨の根幹を揺るがす手続き違反である。

③ そもそも、「幸福の科学」が大量の「霊言に基づく書籍」(「霊言集」)を発刊し、それが立宗の基盤となっていることは公知の事実である。例えば、井上順孝・孝本貢・対馬路人・中牧弘允・西山茂編『新宗教事典』(弘文堂、平成2年3月)には、まだ立宗後3年程度の時点の「幸福の科学」の活動の特徴として、以下のように指摘している。

 

 大川隆法(1956─)が、東京に「幸福の科学」をつくって、大川自身が高級霊界から得たとされる霊言をまとめた『霊言集』を出すなど、活発な出版活動を展開している。(p.90)

 

 これ以外にも、沼田健哉(「幸福の科学の研究」〔『桃山学院大学社会学論集』24(2)、 pp.81~112、1990)、島薗進(『ポストモダンの新宗教』〔東京堂出版、2001〕pp.204~216、pp.229~240)、塚田穂高(「変貌する「幸福の科学」の今昔」〔『世界』〈岩波書店〉795号、2009、pp.129~138〕)等の学識者による論文・著作にも、幸福の科学の特徴的活動としての「霊言」が指摘されている。

 特に沼田(1990)では、「大川の著書の過半数は、霊界の高級霊との交流による「霊言集」や「霊示集」であるのが特色である」(p.81)、「大川は、……脱魂(魂の旅行)と憑霊(霊の憑依)の双方を兼備し、そのうえ審神者(さにわ)でもある霊能者として位置づけられる」(p.110)と、「幸福の科学」の「霊言現象」が分析されている。

 海外の宗教研究者によっても、「幸福の科学」の「霊言」活動は、学術的成果として広く国際的にも知られている。例えば、幸福の科学の活動を宗教学の側面から研究したドイツ語文献としてFranz Winter, Hermes und Buddha: Die neureligiöse Bewegung Kōfuku no Kagaku in Japan, Wien and Berlin: LIT Verlag, 2012. があるが、本書では、「霊言」について、“Geistgesprächen”(S.45.)あるいは “Geistworte” “spirituelle Aussagen” “spirituelle Mitteilungen”(S.47.) として記述されている。

 

④ したがって、大学設置分科会の委員全員が、当大学の再補正申請にて、上記事実を初めて知ったとは到底考えられず、いずれにしても、手続きとして重大な瑕疵があるものである。

 

(2) 審議会の機能に反する恣意的答申の不当性

 当大学人間幸福学部人間幸福学科〔学士(人文学)〕の学位授与基準は、独立行政法人大学評価・学位授与機構が示す「学士(文学)」(専攻分野は「哲学」又は「宗教学」)の基準を満たしている。

 同様に、未来産業学部産業技術学科〔学士(工学)〕における履修モデル(3種)は、同機構が示す「学士(工学)」(専攻分野は「機械工学」又は「電気電子工学」)の基準を満たしている。

 また、経営成功学部経営成功学科の教育課程については、大学設置分科会からの「審査意見(8月)」において、「本学部の教育内容があくまでも経営学のディシプリンに立脚するものであることを補正申請書において確認した」との同分科会の認識を確認している。

 つまり、大学が保有する本質的な機能が「学位授与権」にあるとすると(中央教育審議会2008年12月答申「学士課程教育の構築に向けて」「用語解説」における「学位」の項を参照のこと)、これら3学部の教育課程が既存のディシプリンにおいて、学位授与の基準を十分に満たしていることは明らかなところである。

 そして、今回の答申に際して、3学部の具体的な教育課程における是正意見は一切残っていなかったことを、文部科学省高等教育局大学設置室にも当学園は確認している。

 にもかかわらず、答申は、「霊言が根底にある教育課程」なる事実誤認の理由一点のみで、すべての学部をふくむ大学設置のすべてを「不可」とした。

 これは、審議会の本来の機能である、「専門的見地から教育課程等を詳細に検討する」という趣旨に基づいたものとは到底考えられない、極めて恣意的なものと言わざるを得ず、許されるものではない。

 

(3) 教育課程の事実誤認

① 不認可処分に記載された、「大学は、「体系的に教育課程を編成」(大学設置基準第19条第1項)し、「専門の学芸を教授」(同条第2項)するもので、……(中略)……このような「霊言(霊言集)」を根拠とした教育内容を体系的に学生に教授することが可能とは認められない。」、「以上のことから、『霊言(霊言集)』を本大学における教育の根底に据えるということは、学校教育法第83条第1項の『学術の中心』としての大学の目的を達成できるものとは認められない」などと記述されているが、いずれも重大な事実誤認である。

② まず、当大学では、人間幸福学部人間幸福学科、経営成功学部経営成功学科、未来産業学部産業技術学科のいずれにおいても、「霊言が根底にある教育課程」を申請していない。

 当大学の設置申請書類(特に「教育課程の概要」「授業科目の概要」)には、2回の審査意見を踏まえて、人間幸福学部人間幸福学科においては「哲学」「宗教学」、経営成功学部経営成功学科においては「経営学」、未来産業学部産業技術学科においては「機械工学」「電気・電子工学」の既存のディシプリンに基づいて、それぞれ「学士(人文学)」「学士(経営学)」「学士(工学)」を授与するに十分な体系的教育課程を構成している。

 当学園は、2014年10月31日、文科省における不認可通知の伝達の場において、新木聡・文部科学省高等教育局大学設置室長より、ディシプリンについて是正意見はついていないことを確認している。

 さらに、再補正申請(9月)における「教育課程等の概要」「授業科目の概要」「設置の趣旨等を記載した書類」を確認すれば分かる通り、当大学の申請において、「霊言を根底とした教育課程」は3学部のいずれにおいても設置していない。

 したがって、当該不可理由は、根本的な事実誤認に基づいたものである。

③ かりに文科省が「霊言が根底にある教育課程」であるなどと言うのであれば、“これらの著作物では、大川隆法氏の基本的な思想を証明するためにいわゆる「霊言(霊言集)」を科学的根拠として取り扱う旨の記述がなされている”などという迂遠な主張ではなく、大学の教育課程及び授業科目の内容として、具体的にどの科目等がどの霊言を根底にしていると判断できるのか、「該当科目」「霊言の具体的な書名や内容」が提示されるべきであるが、そのような指摘は一切なされていない。

④ 答申が「霊言が根底にある教育課程」の根拠として示している『幸福の科学大学 創立者の精神を学ぶⅠ(概論)』(大川隆法著、幸福の科学出版、2014年8月)は、大川隆法総裁の法話であり、「霊言」ではない。

 また、当該部分に記された内容は、大川隆法総裁が宗教家(教祖)として日常的に行っている、宗教活動としての「霊言」の趣旨やその意義、メカニズム等を説明した箇所であり、大川隆法総裁と幸福の科学グループの思想を理解する上で、大変有益な記述となっている。

 それゆえ、当大学は、本書を本学の建学の精神を理解する「自校教育科目」である「創立者の精神を学ぶⅠ」「創立者の精神を学ぶⅡ」(各必修2単位)において、参考テキストとして提示したのである。

 審議会が、本書の当該記述、及び本書を参考テキストとする自校教育科目「創立者の精神を学ぶⅠ、同Ⅱ」の存在をもって本学の教育課程の根底が「霊言に基づくもの」なる飛躍のある主張をするのであれば、本学3学部の学士課程としての学位授与プログラムが、どのように「霊言(集)」に基づいているのか、具体的かつ論理的・明示的に提示すべきであるが、それもなされていない。

⑤ 結局、答申は、当大学の教育課程に関する重大な事実誤認によってなされたものである。

 

(4)「霊言」の事実誤認

① 答申は、「一方的に多くの『霊言(霊言集)』を刊行することだけでは、『霊言(霊言集)』の科学的合理性を証明する根拠とは認められない」と述べる。

 そして、その根拠として、「『霊言(霊言集)』は大川隆法氏のみが行えるとされており、実証可能性や反証可能性を有しているか否かという点でも疑義があるため、このような『霊言(霊言集)』を根拠とした教育内容を体系的に学生に教授することが可能とは認められない」とする。

② しかしながら、「霊言」は、大川隆法総裁のみが行えるものではない。

 幸福の科学では、大川隆法総裁以外に霊言を行った者が、過去10名ほど存在しており、そのうちの一部は、既に書籍として一般書店で刊行され、公表されている。

 たとえば、『スピリチュアル・エキスパートによる文部科学大臣の「大学設置審査」検証 上・下』(幸福の科学出版刊)において、6人の「スピリチュアル・エキスパート(いわゆる「チャネラー」)により、下村博文文部科学大臣の守護霊の「霊言」が行われたところ、6人が行なった「霊言」のいずれにおいても統一的人格が認められた事実が存する。

 ここにおいて、「『霊言(霊言集)』は大川隆法氏のみが行える」とされているために、実証可能性や反証可能性を有しておらず、「学問の要件を満たしていない」との答申には、重大な事実誤認が認められるのは明白である。

③ また、「私(イエス)の語ることは天の父が私に命じられたままに語っている」とする『新約聖書』(特に「ヨハネによる福音書」12:50等)や、ムハンマドの口を通じて神より与えられた『コーラン』の存在はもとより、19世紀以降、欧米を中心に世界的に心霊主義(近代スピリチュアリズム)が興隆し、多数の霊媒・霊能者による「霊言」現象が行われ、アラン・カルデック『霊の書』のように、ブラジル等で数千万部のベストセラーとなった書物も存在することはよく知られている。

 「霊言」という言葉そのものも、幸福の科学のみで使用されている言葉ではなく、例えば、オースティン編・桑原啓善訳『シルバー・バーチ霊言集』(潮文社、昭和59年)やグレース・クック著・桑原啓善訳『ホワイト・イーグル霊言集』(潮文社、昭和61年)の例がある。

 同趣旨の言葉である「霊界通信」であれば、戦前の昭和12年に、日本心霊主義運動の父と目される浅野和三郎による『霊界通信 小桜姫物語』(心霊科学研究会出版部)が刊行されているのが有名である。

 このように、霊言及び霊界通信の現象は決して特殊な現象ではなく古今東西において広くみられるものである。例えば、星野英紀・池上良正・氣田雅子・島薗進・鶴岡賀雄編『宗教学事典』〔丸善、2010〕における佐藤憲昭による「シャーマニズム」に関する記述〔pp.310~313〕には、「世界宗教や民族宗教など、深遠な教義体系を持つ宗教の基層部にはシャーマニズムが見られ、人々の宗教生活に深く関わっていることが明らかにされた」と述べられているのであって、一般性・普遍性がないと言うことは到底できない。

 なお、幸福の科学の霊言現象の趣旨及び幸福の科学の宗教思想・活動の諸形態について考察した学術論文等としては、上記沼田(1990)、島薗(2001)、塚田(2009)のほか、二瓶孝次による詳細な検討として、「「幸福の科学」の仏教論的意義(1)~(13)」(『北海道教育大学紀要 人文科学・社会科学編』等の各紀要に掲載、1996~2001)も存在している。

④ さらに、「創立者の精神を学ぶⅠ、同Ⅱ」のように、一年次に必修科目として当該大学の建学の精神を理解するための科目(いわゆる「自校教育科目」)については、上智大学における全学必修科目としてのキリスト教教理に基づく「人間学」や、天理大学における天理教学に基づく「天理教学」、麗澤大学における建学の精神の根幹を成す「道徳科学(モラロジー)」に基づく「道徳科学」等の科目が存在している。

 これらの科目の根幹をなす思想(聖書における啓示的真理や、「おふでさき」等の天理教教典における親神による神示、モラロジーという創立者廣池千九郎の思想等)自体は、そもそも「反証可能性」なる科学哲学上の概念になじまないものである(反証可能性があるのは、あくまでこれらの原典を解釈・議論する二次的な学問的営みに限られる)。

 かりに、「大川隆法総裁(及び幸福の科学)の思想(霊言を含む)に実証可能性、反証可能性がない」との指摘をもって大学教育に適さないと主張するのであれば、全国の各種大学で開催されている「自校教育科目」の根底をなす教説に純然たる実証可能性、反証可能性があるのかどうか、あるいは反証可能性の提示によって当該大学の「建学の精神」そのものを科学的・実証的に批判・分析する趣旨で当該科目が設置されているのかについても、極めて重大な疑義が生じる。

⑤ このように、答申は、「霊言」に関する重大な事実誤認によってなされたものである。

 

(5) 新聞広告の社会的機能の事実誤認

① 答申の「不可」理由では、当大学の「自校教育科目」である「創立者の精神を学ぶⅠ、同Ⅱ」の参考テキストである『創立者の精神を学ぶⅠ』(概論)』(大川隆法著、幸福の科学出版、平成26年8月、pp.90~93)において、「新聞広告をもって霊言に社会的信用がある」旨の記述がなされていることに対して、「『霊言(霊言集)』については、新聞に全面広告として掲載されたという事実により『妄想や虚言、詐欺などと思われないだけの社会的信用がある』としているが、新聞広告にそのような機能はな」いと断言している。

② 新聞広告と新聞社の掲載責任(媒体責任)については、「日本コーポ広告事件」最高裁判決(平成元年9月19日)において、次のように判示されている。

 

「広告掲載に当たり、広告内容の真実性をあらかじめ十分に調査確認した上でなければ、新聞紙上にその掲載をしてはならないとする一般的な法的義務が新聞社等にあるということはできないが、他方、新聞広告は、新聞紙上への掲載行為によって初めて実現されるものであり、広告に対する読者らの信頼は、高い情報収集能力を有する当該新聞社の報道記事に対する信頼とまったく無関係に存在するものではなく、広告媒体業務にも携わる新聞社並びに同社に広告の仲介・取り次ぎをする広告社としては、新聞広告のもつ影響力の大きさに照らし、広告内容の真実性に疑念を抱くべき特別の事情があって読者らに不測の損害を及ぼすおそれがあることを予見し、または予見しえた場合には、真実性の調査確認をして、虚偽広告を読者らに提供してはならない義務があり、その限りにおいて新聞広告に対する読者らの信頼を保護する必要があると解すべき」(日本広告審査協会編『日本広告審査協会25年史』(日本広告審査協会、平成8年)p.299)

 

 この最高裁判例を踏まえ、広告学の観点から、「新聞社には自社紙面に掲載された広告について、すべてとはいえないまでも、相応の責任を負っている、というのが正当である」とする評論も存している(疋田聰「新聞広告における媒体責任について」『経営論集』〔東洋大学経営学部〕第51号、平成12年、pp.319~328)。

 

③ 新聞広告の社会的なチェック体制については、一般社団法人日本新聞協会が定める「新聞広告倫理綱領」において、「1. 新聞広告は、真実を伝えるものでなければならない。」と定められており、さらに「新聞広告掲載基準」においては、「以下に該当する広告は掲載しない。」として、「9. 非科学的または迷信に類するもので、読者を迷わせたり、不安を与えるおそれがあるもの。」を定めている。

 同協会には、読売新聞社、朝日新聞社、日本経済新聞社等の全国紙をはじめ、計104社の新聞社が全国で加盟しているところ、これらの新聞社が発行する新聞の大半において、大川隆法総裁の著作(霊言集も含む)の全面広告や全5段広告も含む広告が多数掲載されている事実が存するのである。

④ 以上の事実を総合すれば、霊言集を含む大川隆法総裁の著作が、数多くの新聞広告に掲載されている客観的事実をもって、「新聞広告にそのような機能はな」いと断言するのはまったく不当なものである。

 答申は、「新聞広告の社会的機能」に関しても、重大な事実誤認によってなされたものなのである。             以 上